余市町運動公園

余市町運動公園とは

余市町運動公園とは、北海道の余市町にある運動公園です。竹鶴政孝の尽力によって誕生しました。

余市町運動公園について

余市町運動公園は余市駅から徒歩で10分~20分ほど。行き方は非常に簡単です。余市駅の目前のリタロードをひたすら直進。リタブリッジを経て余市川を超え、左手の余市町図書館の方に進みます。

ニッカ熊の隣には、リタロードの案内があります。
ニッカ熊の隣には、リタロードの案内があります。

余市町図書館を超えて余市川沿いに数分歩くと、ほどなくして余市町営運動公園の事務所が見えます。

余市町営の野球場。ここも竹鶴政孝の尽力によって生まれた。
余市町営の野球場。ここも竹鶴政孝の尽力によって生まれた。

余市蒸留所の敷地内にあるウイスキー博物館や、竹鶴政孝に関する数多くの書籍には、竹鶴政孝をはじめとしたニッカ社員が野球をしている写真がありますが、それはおそらくこの野球場で撮られたものだったのでしょう。

実はこの運動場は、竹鶴政孝が尽力して生まれたものです。

運動場入り口には、竹鶴政孝の偉業を称える石碑があります。運動場を作るために奔走した記録です。
運動場入り口には、竹鶴政孝の偉業を称える石碑があります。運動場を作るために奔走した記録です。

以前、この土地は農地だったのですが、「余市川の氾濫と低湿地のため葦密生して農耕に通せず」とみた竹鶴政孝が、連日自転車を駆ってこの土地の権利者10数人を説得。大方は寄附を申し出、断るものには土地を買収することによって、運動場を実現させました。昭和24年、西暦1949年のことです。

余市の野球場のスタンド席。コの字型のコンクリートブロックの席から手作り感が伝わる。
余市の野球場のスタンド席。コの字型のコンクリートブロックの席から手作り感が伝わる。

この年は、ようやくウイスキーの公定価格が廃止されました。それまでは、ウイスキーの市場価格と公定価格に大きく差があり、ヤミではウイスキー1本が米1俵(!)で取引されているものが、公定価格ではほとんどお話にならない金額で取引される時代でした。売れば売るほど損をする変な状態でした。

当時は一般的にウイスキーといえば、安物のアルコールを色素や香料などでウイスキー風にしたイミテーション・ウイスキーのことを指していましたから、公定価格が想定しているものもその程度のものだったのでしょう。ニッカが作る本格ウイスキーは、ヤミでは特に価値が高かったのかもしれません。

ともかく、企業が闇市でウイスキーを売りさばくわけにもいかず、当時のニッカは経営的には決して楽な状態ではなく、当然ながら竹鶴政孝も決して経済的に豊かな状態ではなかったと思われるのですが、そんな中、土地を買うほどの私費を投じる決断をしたのは凄いというか、無謀というか、ちょっと常人の考えを超えるところにあると思います。

筆者も尊敬する一方で、なんというか狂気のようなものを感じます。私は、現在一般の市場に出回っている竹鶴政孝に関する本はすべて購入して読んできたつもりですが、この余市運動公園に関しての記載は記憶にありません。やはりはるばる東京から余市まで出てきてよかった、新しいことが知れたと嬉しい半面、この一大事業に関してさまざまな書籍で特に扱われていないのは、やはり何か事情があるのでは、と無為な勘ぐりをしてしまいますね。

もとより、少年期は剣道や柔道で体を造り、壮年期にもテニスや野球、釣りなどで運動を行ってきた竹鶴政孝ですから、スポーツをすることの大事さは常々意識していたのかもしれません。また、余市という地域に報いることで、余市蒸留所で働くスタッフのモラール向上、ひいてはウイスキーの品質向上を狙っていたのかもしれません。

余市野球場のホームベース付近。ベース裏の領域が非常に広い贅沢な造りである一方で、バックネットは非常に控えめ。土地が広い北海道らしい造りです。
余市野球場のホームベース付近。ベース裏の領域が非常に広い贅沢な造りである一方で、バックネットは非常に控えめ。土地が広い北海道らしい造りです。

とにかく、この運動公園は竹鶴政孝の無謀といえるかもしれない偉業を示すものであることは間違いありません。余市に旅行されたさいは、是非いちど見てみてはいかがでしょうか。

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