『望郷』森瑤子 – 【リタの内面に迫った恋愛小説】

森瑤子『望郷』とは

『望郷』とは、森瑤子による、リタをモデルとした長編の恋愛小説です。

森瑤子『望郷』について

宮城峡蒸溜所にある竹鶴とリタの等身大パネル。
宮城峡蒸溜所にある竹鶴とリタの等身大パネル。

森瑤子『望郷』は、あくまで、史実をベースにしたフィクションなので、脚色、演出の要素があります。

例えば、史実上はリタの父であるサミュエルキャンベルカウン医師と竹鶴の面識は無いはずですが、この小説では2人が対面したことになっており、その記述にかなりの紙幅が割かれています。

おそらく、参考文献に挙げられている、竹鶴政孝著『ウイスキーと私』にて、「生前のサミュエル医師に会った」という記述を基にして書かれたものでしょう。

これは脚色の意図はなかったのかもしれませんが、竹鶴が神戸港を出る以前にサミュエル医師は逝去しており(地元新聞にも載っている)、はっきりいって辻褄が合いません。

これについては、孫の竹鶴孝太郎氏の言によれば、「カウン家の体裁を考えた祖父なりの気遣いだったのではないか」と言われています。

こうした史実との齟齬があるものの、「ふたりは本当に出会っていたのではないか」と思われせるほど、リアリティと緊張感に満ちたシーンが描かれ、これはエンターテイメントとしての脚色が大正解と言わざるを得ません。

一方で、スコットランドから単身で極東の身に嫁ぐリタの悲劇性を強調するためか、家族との軋轢が屈折したかたちで禍々しく描かれており、こうした物語に慣れていない方にとっては、精神的にキツい点があるかもしれません。私は読むのが辛かったです。

ルーシーをのぞく、リタの家族のリタに対する風当たりの強さは、読んでて気持ちがブルーになります。たまに竹鶴政孝も酷いです。風当たりが強くなる前は、太陽のような完全な女性として画かれているので、そのぶん衝撃が凄まじいのです。さすがエンターテイメント作家の筆力は大変なものだと感激いたしました。

さて、そうした演出技法も素晴らしいのですが、もう一点の特筆すべきところは、著者はスコットランド在住の女性で現地事情に明るく、景色や食事の描写が素晴らしく具体的で、ありありと風景を浮かばせる点です。

特に、クリスマスプディングの製法のくだりや、リタと竹鶴が愛を誓いあうくだりなどは、情報量ゆたかに描かれ、物語に奥深さとリアリティが付与されています。フィクションゆえに描ける自由な想像に、きらびやかな輪郭を重ねあわせることができるのです。

リタの人間関係と、その中で生まれる機微が、ごく繊細なタッチで描かれる作品。フィクション小説なのでウイスキーの史実にウルサイ私のような人間にとっては食指が伸びないかもしれませんが、この作品ほど、リタの心の内側に迫った作品は他にないという観点で、読む意義は非常に高いと思います。おすすめです!

参考文献

作品名望郷
著者森瑤子
初版1990年5月20日
ジャンル史実を元にしたフィクション/恋愛小説
発行所株式会社KADOKAWA (角川文庫)
この記事のURLとタイトルをコピーする