竹鶴政孝自伝『ウイスキーと私』について
『ウイスキーと私』は、竹鶴政孝の自伝。自身の口から語られた証言であって、資料的価値が非常に高く、数多くのウイスキー関連書で参考文献として挙げられている一冊です。
竹鶴政孝自身の言葉で語られているため、資料価値としては一級品なのですが、一方で、記述内容には疑問符が浮かぶ点もあり、必ずしも全てを信用するわけにはいかないのも事実。
というのは、竹鶴政孝は自身に限らず体面を大事にしているようで、おそらく意図的に虚偽を話している部分が見受けられるのです。
もっとも顕著な例は、リタの父であるサミュエル医師との邂逅です。
大正九(1920)年の夏、私は再び、ぶどう酒の勉強のためフランスに渡った。その間にリタの父が亡くなった。
リタの父は”医は仁術なり”を主義としていた人で、どんな真夜中でも、いやがらずに自分で車を運転して診察に出かけていった。そのため町の人たちからは、慈父のように慕われていたが、そんな過労が重なり合って倒れ、そのまま急逝したのであった。
リタと私の結婚には、親日家の父が許してくれるだろうという計算があったが、二人が結婚の決意を知らせる前に、父は死んでしまったのである。リタと私の苦しみは大きかった。
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この他にも、食事に招かれたといった記述が見られますが、史実では竹鶴政孝が神戸港を出る以前にサミュエル医師は逝去しています。(この嘘の背景について詳しく知りたい場合は、この書の巻末の竹鶴孝太郎氏による解説か、オリーブチェックランド書『マッサンとリタ』、土屋守『竹鶴政孝とウイスキー』を御覧ください。)
また一部には、編集者の下調べに限界があったことが偲ばれるものもあります。
例えば、ロングモーン・グレンリベット蒸溜所がザ・グレンリベットとして語られている点は、聞き手あるいは編集者が勘違いしてしまったのでないかと思います。今で言うザ・グレンリベットは、その名声ゆえに、数多くの蒸溜所で名を使われていました。(ゆえに、ザ・グレンリベットには「THE」という定冠詞が使われます。)
竹鶴政孝が実習を行った「グレンリベット」は、「ザ・グレンリベット」ではなく、「ロングモーン・グレンリベット」であると言われています。ウイスキーのプロである竹鶴政孝がこうした事実を混同することは考えにくいので、聞き手が誤解してそのまま出版されてしまったのかもしれません。
他にも、単純に自身の体面のために表現を丸めている点もあるように見受けられます。例えば、摂津酒造退社の際は、阿部喜兵衛に「しばらく浪人します」と言って熟考の末に辞めたことになっていますが、芝川又四郎の自伝『小さな歩み』によると、「家族の法事にも帰らせてもらえなかったことで激情して、喧嘩別れで辞めた」と言われています。
こうした問題点はありつつも、留学旅行の具体的な様子や、摂津酒造入社からニッカウヰスキー誕生までの歴史を当事者の言によってまとめられているという点で、第1級の資料と言って良いのではないでしょうか。おすすめです!
作品名 | ウイスキーと私 |
著者 | 竹鶴政孝 |
初版 | 2014年8月30日 (旧版は1976年) |
ジャンル | 伝記/自伝 |
発行所 | NHK出版 |