美園の丘にある竹鶴政孝とリタの墓

美園の丘の墓地

美園の丘の墓地とは

美園の丘の墓地とは、北海道の余市町にある墓所です。竹鶴政孝竹鶴リタの墓があります。

美園の丘の墓地について

美園の丘の墓地は余市駅から徒歩で20~30分。タクシーだと10分もかからずに着きます。

行き方はシンプル。余市駅の目前のリタロードをひたすら直進。リタブリッジを経て余市川を超え、左手の余市町図書館の方に進みます。

ニッカ熊の隣には、リタロードの案内があります。
ニッカ熊の隣には、リタロードの案内があります。

ほどなくして余市町営運動公園の事務所がありますが、そのあたりから北側に歩を進め、数百メートルほどで墓所入り口に到着します。

余市町営の野球場。ここも竹鶴政孝の尽力によって生まれた。
余市町営の野球場。ここも竹鶴政孝の尽力によって生まれた。

場所がわからない場合は、GoogleMapで「会津藩士之墓 余市」と検索すると、美園の丘の墓地がマッピングされますので、こちらは確実な方法です。

美園の丘にある竹鶴政孝とリタの墓
美園の丘にある竹鶴政孝とリタの墓

竹鶴政孝と竹鶴リタの墓は、その会津藩士之墓のすぐ上、余市蒸溜所を見下ろせる位置に鎮座しています。

墓碑の裏にはIn Loving Memory of Rita Taketsuru(リタ・竹鶴の親愛なる思い出とともに)とある。
墓碑の裏にはIn Loving Memory of Rita Taketsuru(リタ・竹鶴の親愛なる思い出とともに)とある。

到着して初めて気づいたのですが、筆者にはキリスト教の親類がいないもので、どのように供養(?)すればよいのかわかりません。

とにかくは、敬意と慰霊の気持ちが大事かと思い、ひたすらお辞儀とお祈りをしました。

この墓碑は、竹鶴リタが逝去した際に既に作られています。つまり、竹鶴政孝は存命中に墓に名が刻まれていたことになります。「わしが死んだら日付を入れるだけでいいから楽だぞ」と竹鶴威によく言っていたそうです。

自分の名前が刻まれた墓に参る気にならなかったのか、あるいは竹鶴リタを喪失した悲しみに直面したくなかったのか、竹鶴政孝自身はあまり墓参りはせず、余市蒸溜所からこの墓にむけて手を振っていたそうです。

ちなみにこの墓碑が建てられた当時、周りには2基分の空きがあり、竹鶴政孝はニッカ創業メンバーに購入を進めたと言われています。具体的な名前は知らず、筆者はそのメンバーの特定はできませんでしたが。

美園の丘はあくまで墓所ですので、観光ついで、といった気持ちで出向く場所ではありませんが、竹鶴政孝と竹鶴リタに対する敬意を持ってやまない方は、きっとお参りに行ってはばかられるものではないでしょう。

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