あゆ見荘(香魚亭)とは
あゆ見荘とは、余市川沿いにある宿。その食事処である香魚亭では、余市川でとれた新鮮な鮎が食べられます。
筆者があゆ見荘(香魚亭)を訪問したのは、2016年9月23日。私の誕生日でした。
前日はすぐとなりのホテル、水明閣に宿泊しておりまして、チェックアウトのあと徒歩で30秒ほどで到着。
食事処の「香魚亭」は不定休なので、前日に電話で朝10時から営業していることを確認しておりましたので、店内は真っ暗でしたが、安心してドアをくぐれます。
お店に入っても誰も出てきてくれないので「すいませ~ん」と声をだすと、奥からいそいそと女性店員の方が出てきてくださいました。
なんというか、ひっきりなしに人が出入りする東京のお店とくらべて非常にノンビリしてますね。旅情がたまりません。
さて、店員さんが持ってきてくださったメニューを開きます。お目当ては「竹鶴政孝とリタセット」。竹鶴政孝とリタ・竹鶴の好物が一緒になった、贅沢なメニューです。
竹鶴政孝は鮎の塩焼きが好きで、リタは鮎天そばが好きだったそうです。店員さんにこちらを注文すると、厨房で「リタ一丁~!」と元気の良い声が聞こえてきて笑ってしまいました。
まさか、天国のリタさんも、余市の飲食店の厨房で自分の名前と鮎が飛び交ってるとは思いもしなかったでしょうね。ただ、それだけ余市の人々の生活に深く根をおろしたということですから、ほほえましいというか、リタさん頑張ったんだなあ、愛されてたんだなあ、といった感慨があります。
さて、注文が済んだので、手元を軽く物色。メニューと一緒に新聞の記事が挟んでありました。
鮎の塩焼きの香りが店内に漂ってきて少しすると、お膳が運ばれてきました。
これはもう美味しいに決まってますね。
塩焼きは頭からパクリと食べられます。ホロホロのサクサクで、ほのかな苦味と、藻に由来するヨード感があり、最高にうまいです。あと一匹食べたいくらい。余市川の恵みを感じます。
鮎天そばの鮎は、対照的にやわらかくてしっとり。衣に関西風のお出汁が絡んで絶妙。そばは珍しい平打ちで、ざらざらした食感が鮎とコントラストがありこれも美味しい。
大満足でお食事を済ませて、会計へ。ここで、店員さんに主目的をうちあけます。
「実は、竹鶴政孝さんの大ファンでまいりました。竹鶴政孝さんが揮毫した看板を見せてくれませんか」と店員さんに申し上げました。
すると奥から店主の佐藤さんがおいでになって、くだんの看板をご紹介してくださいました。
鶴山人は竹鶴政孝が筆をとる時に用いていた筆名。粋人としての竹鶴政孝の一面が垣間見れますね。
このあとは、お客さんが一人も来ない店内で、あゆ見荘の主人とながながと雑談させてもらいました。
とてもすべては書ききれないので、抜粋して書きます。
- 現店主の佐藤さんの父の代から竹鶴政孝さんには非常にお世話になった。余市の元農家から店を作れたのは竹鶴政孝さんのおかげ
- 余市の人々は、形の悪いリンゴも買い上げ、また工場の雇用も作ってくれた竹鶴政孝さんに本当に感謝している
- すぐ近くの余市川にニッカウヰスキーの東屋(あずまや)があり、そこで鮎釣りの接待客をもてなした
- 釣りたての鮎を、川原で「あゆ見荘」の焼き手に焼かせ、そのまま食べさせるという接待をしていた。「本当の贅沢」を知っている人だった
- その東屋も、余市川の氾濫で流されてなくなってしまった
- 余市川の氾濫があったときは余市の貯蔵庫の樽も流されてしまい、樽の2つに懸賞金がかけられたが、結局見つからなかった
- 余市川の氾濫のときに「ポケットニッカ」が道端に落ちていた。ウイスキーが高級品だった時代なのでありがたがって飲んでみた人がいたが、蓋から泥水が混入してしまっており、その人はお腹をこわしてしまった
- 「あゆ見荘」にはニッカウヰスキーの従業員はよく食事に来ており、その時にはリタさんや威さんもいた
- 宴会の最後は西田佐知子「アカシアの雨がやむとき」高英男「雪のふるまちを」を合唱するのが定番だった。「雪のふるまちを」を歌いながら、竹鶴政孝とその従業員が雪の中を歩いて行く様子は映画のワンシーンのようだった
- 山田町にあった竹鶴政孝邸は「白亜の宮殿」と呼ばれており、とてつもなくハイカラだった
- 竹鶴政孝邸に呼ばれたとき、玄関には熊の皮が敷かれており、とんでもなく驚いた(この熊は余市蒸溜所のウイスキー博物館に展示されています。)
といった具合に、本当に書ききれません。
とにかく、あゆ見荘(香魚亭)で食事をすると、こんな素敵な話が聞けるかもしれません。余市蒸溜所に遊びに行かれるさいは、こちらでの食事もおすすめです!