信州マルス蒸溜所の特徴
信州マルス蒸溜所とは本坊酒造株式会社が所有する蒸溜所。「竹鶴ノート」をもとに設計された、スコットランド直系のモルトウイスキー製造が特徴。
信州マルス蒸溜所の基礎知識
信州マルス蒸溜所は、もと摂津酒造の岩井喜一郎による設計で作られました。その際に参考にされたのが、竹鶴政孝が摂津酒造に提出した、スコットランドにおける実習レポート、すなわち「竹鶴ノート」です。
竹鶴政孝の偉大さはもとより、レポートを元に素晴らしい蒸溜設備を作り上げた岩井喜一郎の設計技術の高さには驚くばかりです。
こうした背景で設計された信州マルス蒸溜所は、ジャパニーズウイスキーの本道でありながら、スコッチ・ウイスキー直系の蒸溜所であると言えるでしょう。
信州マルス蒸溜所のテロワールにおける特徴は、長野県の中央アルプス駒ヶ岳山麓標高798mにある点です。標高の高さゆえに、軽い減圧蒸溜になっているといえるでしょう。
※減圧蒸溜とは、気圧が下がることで素材の沸点が下がり、より低い温度でアルコール蒸溜ができるようになるので、温度上昇による風味の変化を減らすことができ、常圧蒸溜に比べて風味豊かな原酒を蒸溜する技術のこと。ライトな味わいのスピリッツを蒸溜する技術として、焼酎やグラッパで盛んに導入されている。
信州マルス蒸溜所は、長野県宮田村の大田切川沿いに作られおり、まさに風光明媚、清澄な空気と豊かな水源に囲まれ、ウイスキー製造にはもってこいの場所です。水源は中央アルプスと南アルプスによって育まれた地下水であり、非常にきれいで雑味のない素晴らしい仕込み水で、これでマルスウイスキーをトゥワイスアップにすれば最高の味わいになります。
信州マルス蒸溜所の歴史年表
簡単に、信州マルス蒸溜所と、マルスウイスキーの歴史をまとめます。蒸溜所の移設や停止、そして再開。めまぐるしい歴史を紡いでいることがわかります。
西暦 | 出来事 |
1945 | 岩井喜一郎が本坊酒造の顧問に就任。 |
1949 | 本坊酒造がウイスキー製造の許可を取得 |
1960 | 岩井喜一郎が山梨工場の設計、製造を開始 |
1969 | 販売不振により山梨工場の操業停止 |
1981 | 鹿児島工場での生産を開始。「マルスウイスキー」の呼称が誕生 |
1985 | 信州マルス蒸溜所を開設 |
1992 | 信州マルス蒸溜所の操業停止 |
2011 | 信州マルス蒸溜所の操業再開 |
信州マルス蒸溜所の見学旅行
信州マルス蒸溜所への見学旅行は、2016-05-29。転職時の有給消化期間を用いた旅行です。ちなみに、この後は上諏訪に泊まって、翌日は白州蒸溜所を見学しています。
高速バスで駒ヶ根市へ
新宿から高速バス(新宿~伊那・飯田線)を使い、駒ヶ根市に向かいます。高速バスはネットで事前予約してスマートフォン乗車券を取得しておくと便利です。乗り込む場所は、新宿バスタ。新宿JR線の南口の道路を挟んで向かい側にあります。新宿駅からの乗り換えにはそれなりに時間がかかるので、早めに着いておくと良いでしょう。
新宿バスタの四階が高速バスの手続きと乗り込み場所になっており、スマートフォン乗車券獲得済であれば、乗り込み時に運転士さんに乗車券画面を見せるだけでOKです。
バスに乗り込んで高速渋滞にハマり1時間遅れ、計5時間のバス旅行で11時過ぎに駒ヶ根市に到着しました。
駒ヶ根市からタクシーで信州マルス蒸溜所へ
すぐに蒸溜所に向かっても良いのですが、空きっ腹でウイスキーを飲むのははばかられるので、駒ヶ根市で有名なソースカツ丼のお店を探します。今回、たまたま見つけたお店「中華料理 きよし」にて食しました。駒ヶ根市のバス停留所から歩いて数分ですので、探してみてください。
(ただし、開店は11時半なのでその点はご注意ください。11時半より早く着く場合は、開いてるお店がほとんどないので、サービスエリアでお昼ごはんを買っておき、蒸溜所近くの川沿いなどでピクニックランチされた方が良いかもしれません。)
さて、ランチを済ませると、いよいよ蒸溜所に向かいます。蒸溜所への交通手段は、実質的にタクシーしかありません。バスもないことはないそうですが、便数がことごとく少ないうえ、蒸溜所からの距離も相当なものです。
タクシーは、駒ヶ根市のバス停留所からすぐちかくに「赤穂タクシー」の営業所がありますのでそこで利用しましょう。インターフォンを押すと、営業所の方がすぐにタクシーを呼んでくれます。
ほどなくしてタクシーが到着、行き先をマルスウイスキーと伝えると、山あいの田んぼに囲まれた道を10分、すぐに蒸溜所に到着です。タクシー代は2000円。新宿~駒ヶ根市までの高速バス代が4000円弱と考えると、なかなか痛い出費ですが、安全と体力、時間の節約の観点で考えれば、決して高い出費ではないと思います。
信州マルス蒸溜所の見学
降りてすぐ、見学受付所があるので、そこでご挨拶と簡単な手続きを済ませます。見学は無料で、ガイドなどはなく自由に見て回ることができるとのこと。
最初は貯蔵庫。近代的なラック式で、さまざまな種類の樽が貯蔵されています。特色はやはりその樽の数の少なさ。宮城峡蒸溜所、白州蒸溜所に比較すると、その小規模さがよくわかります。貯蔵庫は他にもあるとのことでしたが、敷地面積や生産能力から考えて、やはりニッカウヰスキー社やサントリー社とは比較にならない小規模な量であることは間違いないでしょう。
樽の中には、新樽と思しきバレル(ホグスヘッド?)や、長期貯蔵されたと思われる黒くて大きいシェリーバット、ジャックダニエルの空樽など、さまざまな種類があり、少量ながら幅広い種類の原酒を製造している企業努力がわかります。スタッフさんに尋ねたところでは、ジャックダニエルの他にも、フォアローゼスなどのバーボンバレルを購入しているそうです。
信州マルス蒸溜所の貯蔵庫の香りは、ラムレーズン様の香りが強く感じました。シェリー樽やワイン樽(マルスワインの製造で用いられた樽)が他の蒸溜所の貯蔵庫に比べて多いのかもしれません。
貯蔵庫の次は、糖化槽(マッシュタン)です。途中には原料室があり、そこにはモルトスターのCRISP社製の製麦済みモルトが置かれていました。スタッフさんの話では、
- アンピーテッド麦芽
- ピーテッド麦芽
- ヘビーピーテッド麦芽
- スーパーヘビーピーテッド麦芽
の四種を輸入しているそうです。
私が見学に訪れたタイミングではちょうど糖化のスケジュールで、スタッフさんが一人で糖化作業を行ってらっしゃいました。一人で10分ほど舐め回すように工場内を観察していると、見かねたのか、作業中のスタッフさんが話しかけてくれました。
現在、サイロから粉砕済みの麦芽(グリスト)を糖化槽に移しているところ。
「左奥にあるのは温水で、それを糖化槽に移す。温水とグリストが、麦芽に含まれる酵素によって糖化され、麦汁ができる。糖化残渣は、下部のパイプを通って隣の棟に移され、飼料として出荷される」
といった手順について詳しく教えて下さいました。
「一人で作業するのは問題なく、技術者の仕事は待つ時間の方が長いので、こうして話してても問題ないんですよ」
と、心よくなんでも教えてくださるスタッフさんのお人柄には大変感激しました。
糖化槽の次は発酵槽です。こちらは6点ほど発酵槽が並び、麦汁の投入を待っているところです。現在発酵中ではないため、実に静かなものでした。
最後はお待ちかねのポットスチル。岩井喜一郎設計のものとは別の、新しいポットスチルが2基並んでいます。しかし、ストレートヘッド型、ラインアーム下向きで、ヘヴィな原酒製造に向く形なのは間違いないでしょう。おそらく、2011年の操業再開の際に設置されたものでしょう。
あいにく蒸溜のタイミングではなかったので、イースト香などの蒸溜所らしい香りなどは堪能できませんでしたが、お客さんも少ないので、周りの設備との連結構造などをまじまじと観察することができ、非常に楽しいです。
宮城峡蒸溜所とは違い、温度調整用の蛇管(ジャケット)やセンサー機器などの設備もかなり控えめに思われます。またスピリッツセーフも間近で観察できるのも非常に良いところ。手に届くような位置に見られるので、貴重な機会です。
またポットスチルのボイラー部はなかなか視認できない蒸溜所が多い中、ここははっきりと見られるので非常に興味深いです。加熱方式は尋ねませんでしたが、近代的なポットスチルにおける定番、スチームによる間接加熱だと思われます。
蒸溜設備を一周したあとは、試飲コーナーに移動。いくつかの定番銘柄を無料試飲できるほか、有料で貴重な酒を飲むことも可能です。
信州マルス蒸溜所の試飲体験
無料試飲コーナーでは複数銘柄が試飲可能。「私は普段、スリーアンドセブン(three and seven 3&7)を贔屓にしているのですが、ここには取り扱ってないんですね」、というと、「まあ、この信州という銘柄を飲んでみてください」と案内。
信州とラベルに書かれたウイスキーを口にしてみると、これはまさか…。そう、なんと信州とスリーアンドセブンは中身がまったく同じなのです。長野県で現地に卸す際には、信州として、長野県以外に流通させる際にはスリーアンドセブンとして卸しているそうです。これは実に驚きました。
有料試飲の銘柄は、ツインアルプスといった定番銘柄のほか、
- Mars Distillery Original(蒸溜所限定販売のブレンデッドウイスキー)
- マルスモルテージ越百(コスモ。外部のモルト原酒をヴァッティングしたピュアモルトウイスキー)
- ブレンデッド・ウイスキー岩井トラディション
- ブレンデッド・ウイスキー岩井トラディションワインカスクフィニッシュ
- シングルモルト駒ケ岳
- シングルモルト駒ケ岳ワインカスクフィニッシュ
といった銘柄をテイスティングできます。
ここでは、試飲会場のスタッフさんと非常に楽しく深いお話をさせていただきました。かいつまんで書くと、
- 信州マルスウイスキーは、第六次産業化の旗で、地域一体となって会社を回している。
- アイラのブルイックラディ蒸溜所よろしく、信州で麦から育てて、一部分の原酒に使おうという計画もある。現在、二条大麦の生育に適した地域を探している段階で、まずは南信州ビールブランドで試していく予定。
- 一方で、現状モルトは全量、製麦済のものをスコットランドのモルトスター(CRISP社のみ)から購入。品種は二条大麦の中でもコンツェルト種。
- 信州マルス蒸溜所には連続式蒸溜所の設備はない。グレーンは原酒の状態で外部から購入。
- 本坊酒造は、鹿児島県南さつま市の津貫工場でも、今年11月から蒸溜を開始する。早ければ三年後にも鹿児島産のウイスキー原酒ができる。
- 津貫工場では、鹿児島県民の気質を表す、ボディが強くヘヴィな原酒製造を目指し、ポットスチルの構造には非常にこだわった。ポットスチル胴体部は特殊なボール型で表面積を最小化し、ラインアームはさらに細く下向きにし、分縮(蒸溜気体が冷えて釜に戻ること)を最小限にしているとのこと。
- 屋久島に貯蔵庫があり、その品質次第では屋久島貯蔵庫限定の銘柄が出るかもしれない。
- ブレンダーは数人いて、チーフブレンダーという役職の人はいないので、各ブレンダーがコミュニケーションを取って品質を維持している。
- ワインカスクフィニッシュは近くに本坊酒造社が所有するワイナリーがあるからできる。ワインは樽が悪くなりやすいので、すぐにウイスキーを詰める必要があり、ワイナリーを持つ会社がワイナリーの近くに樽詰めすることができる設備を持っていなければ実現は難しい。
- シェリー樽は各社の争奪戦になっており、なかなか手に入らない。最近はだいぶ落ち着いているが、少し前は本当に入手が困難だった。
- また鹿児島の焼酎製造でも使われている減圧蒸溜の技術についても前向きに検討している。
(表に出せない話もいろいろうかがいましたが、公開してよいとおっしゃったところだけご紹介しています)
かなり多くの貴重な情報を頂いた中で、非常に興味深いのは、減圧蒸溜の技術を使ったウイスキーも検討されていることです。これは実現すれば相当にエポックメイキングになると思いますが、実際どうなるか、非常にわくわくします。
これまでにそうしたウイスキーがなかった(既にあるかもしれないが、聞いたことがない)のは、そうした発想がなかったのか、そうした技術がなかったのか、あるいは試した企業があったがうまくいかなかったからなのか。興味が付きません。
売店では、限定販売のウイスキーやテイスティンググラスなどの関連グッズ(特にグラスはめちゃくちゃオシャレでおすすめ)、おとなりの工場で作られるマルスワインの販売などがあり、非常に充実しています。
このあと、敷地内を観察がてら散歩していると、水神様を発見。ニッカウヰスキーのポットスチルにかけられる紙垂(しで)同様に、酒造りにおける自然の神様への敬意が感じられ、非常に感慨深いものがあります。信州マルス蒸溜所のこういうところも大好きです。
信州マルス蒸溜所からの帰路
余談ですが、信州マルス蒸溜所での素晴らしい体験をあとに、駅まで歩いて帰りました。タクシー代を節約したのもありますが、素晴らしいウイスキーが作られる自然環境を五感で体験したいという意図がありました。最寄りの大田切駅までの約1時間の散歩の中で、なんと麦畑を発見します。
酒作りに使われる二条大麦ではなく六条大麦なので、マルスウイスキーで使われる予定の麦ではないのだと思われますが、将来の信州産麦による信州マルスウイスキーの銘柄の誕生を思わす体験で、非常にロマンを感じました。
ちなみに最寄り駅の「大田切」駅は、本数が1時間に1本程度なので、時刻表を事前に確認しておくことをオススメします。(私は一時間かけて歩いたあと、電車を一時間待ちました。)この日は大田切駅から1時間半ほどかけて「上諏訪」駅まで行き、「上諏訪」駅の民宿に泊まりました。翌日は白州蒸溜所の見学です。
さまざまな体験ができる信州マルス蒸溜所、おすすめです!ぜひ足を運んでみてください。
信州マルス蒸溜所の基礎情報
名称 | マルス信州蒸溜所 |
創業 | 1985年(石和工場は1960年) |
所有者 | 本坊酒造 |
HP | 蔵・蒸溜所/マルス信州蒸溜所 | 本坊酒造株式会社 |
設備 | ポットスチルは2基。冷却はシェル&チューブ型。 |
特記事項 | 岩井喜一郎が竹鶴ノートを参考に設計。 |
住所 | 〒399-4301 長野県上伊那郡宮田村4752-31 |
アクセス | JR飯田線で「駒ヶ根駅」または「宮田駅」を下車。 その後タクシーで約10分。 |